略歴 [編集]
マイク真木のバック・バンド、マイクスで音楽活動を開始。その後、ミッキー・カーチス&サムライのメンバーとなり海外遠征も経験する。麻生レミのバック・バンドなどで活動中、来日中だったフリーのメンバー、ポール・コゾフ、サイモン・カークとスタジオで出会う。渡英後にコゾフ・カーク・テツ・ラビットとして活動しアルバム「Kossoff Kirke Tetsu Rabbit」を発表した。
1972年、再結成したフリーからアンディ・フレーザーが脱退したため、後任のベーシストとして加入する。1973年に作曲も担当したシングル「Wishing Well」[1]は全英チャート7位(Music Week)を記録。その後、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。1974年にも作曲を兼ねたシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」[2]が全英チャート12位(Music Week)のヒットを記録している。当初はイギリスのミュージシャンらが所属するユニオンに加入できず活動が制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が後押しし、問題解決へとつながった。フリーおよびフェイセズのメンバーとして日本での凱旋ライヴも行っている。