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Taishi Nobukuni / Designer


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<< February 2010 >>


たまには音楽でもシェアしようよ。



たまには音楽でもシェアしよう。
The Slits 最高だね。
メンバーの一人はロンドンの僕の友達とバンド組んでるんだって。


動くSlitsはこっち。動いてるの見たことなかった。それにしてもチープ(褒め言葉)





Johnny Mar ギタープレイを語る。レアな映像。
不思議なことにはメキシカンギャングってスミスの音好きらしいんだよね。
ゲレロが一番影響受けたのも彼らしい。ビッケンバッカーの音が爽やか。



単調なロックのコード進行をアルペジオでどう豊かに弾くか。繊細な人なんだね。
凄く影響力がある、ギタリストのためのギタリストであるに違いない。















| - | 20:02 | - | - |
羊達の宴

 G7とやらの各国の財務大臣の会議が閉幕したそうです。
経済危機をのりこえるべく様々なことが話し合われたようですが、誰にもその先行きはわからないでしょう。
結局いまだグローバルな深い不況の底にいながら出口は見えないという確認にしか過ぎないようです。
結局会議のための会議で終わるなら自慰セブンとでも呼びたくなります。

 閑話休題、僕はその映像を見た時に本当に凍り付いてしまったのです。
クールビズとやらはインターナショナルな動きになってしまったのでしょうか?



 ある人からカジュアルとはその人らしいということと教えて頂きましたが、そんな自分らしさがでてるのがこの人達なのでしょうか?
きっとその自分らしいとは洋服とかはどうでもいいという自分らしさでしょう。
後列の東急ストアで買い物してそうな方もいれば定年を迎えた教師、はたまたスキーロッジの管理人風まで。

 ヴィヴィアンはタイとは男性自身のメタファーだと言いました。だとするとこの人達は去勢された羊達に見えます。



 クールビズ反対というよりも僕はあそこがない男に自分の国を任せたくない。


 国を任せる漢とはこんな人であって欲しい。







 彼のあそこはちょっと変わってていつも水玉の蝶結びだったようですが、そんなオリジナリティーある人に、自分の国を委ねたい。






























| - | 18:49 | - | - |
一張羅のすすめ2 ホワイトタンク

 


 一張羅といえば山下清画伯。
芦屋雁之助さんからドランクドラゴンつかじへと、ブラウン管ではそのスタイルが受け継がれました。ご存知ランニング。
中学生のとき僕は寮に住んでいましたが、そこに米軍男とかいてベグオと呼ばれる沖縄出身の先輩がいました。
彼は本当に一年中白いランニングを着ていました。誰かがこんな俳句を詠ったものです。
 真冬でも ベグオが着るのは ランニング
 それはともかく裸の大将。多分テレビなどで記憶する人はその拙いしゃべりとともに、そのタンクトップをある種汚いホーボースタイルとしてイメージする人が多いことでしょう。
しかし僕がドキュメンタリーを観て知ったのは、彼は異常なキレイ好きであったということです。そしてかのランニングは常に染みひとつなく完璧に白く洗われていたそうです。
 昔デクノボウとかそんな差別用語もあったように知的障害をもつ人は差別されました。でも現代の精神医学で画伯をカテゴライズするなら、彼は”サバン症候群”という名の天才の気質です。
 このブログ始めたころに触れた南方熊楠もしかり(2009.01.29) 。熊楠は一度読んだものを永久に忘れないという病でした。その彼が大英博物館に篭もったわけですから、彼の脳内にはこの地球の知識が全てはいっていたと言えるでしょう。
山下画伯は裸の大将シリーズに描かれているように旅先で見るものをちぎり絵で絵にしたのではないそうです。全て東京に帰ったりして後々絵にしたそうです。そう、彼も観たものが全て脳内にある天才という名の病だったわけです。彼は2年ほど誰にも行方が知れなくなった期間がありましたが、偶然鹿児島で発見した学生がどうやって来たかと尋ねると、何月何日に何時何分上野発のなになに号に乗って何々駅に何時に到着、何分後何時何分のなになに号にのりかえ云々とそのディテールを時刻表のように完璧に語りだしたそうです。
 なんか話それましたが、そんな几帳面な天才のスタイルが例のランニングなわけで、それはある種の完成されたダンディズムだと思うのです。

 ホワイトタンクで思い出すのはチカーノスタイル。メキシカンギャングのスタイルです。僕はLAで住んでたのがカラーズの舞台となり監督のデニスホッパーもそこに住んでいたベニスビーチです。
彼らは漂白剤のCMとまがうが如き完全に白いタンクを着ています。それに膝まで上げたホワイトソックスはホントかっこイーです。
でもなんでカッコイーかというとそれが彼らの命がけの気合が入ったスタイルだからだと思います。


 

 お金がない彼らはその制服であるホワイトタンクにときにはアイロンかけて着るのだとか。でもそんな純白のタンクはいつ血に染まるかもしれません。当時ある朝銃声とともに2件となりから悲鳴が聞こえて表に出るとそこには蜂の巣になった車の窓から垂れる血だらけの手とそこにすがる泣き叫ぶ母親の姿がありました。銃声なんて聞くんだと驚く諸兄もいるでしょうが、基本毎日でした。それもマシンガン。彼らがどんな気合でタンクトップ着てるか少しは感じて頂けるでしょうか?

 ホワイトタンクについて思い出すこと綴りましたが、命燃やしてる人のスタイルはみなカッコEとおもいます。族の特攻服も上等だと思います。スタイルってそういうことだと思います。



 
botanika white tank 命がけの人に











| - | 00:07 | - | - |
一張羅のすすめ

こんなこというのデザイナーのくせに自殺行為かもしれませんが、僕は一張羅人間です。
なのにそんな自分を許す言い訳が二つほどあります。
 一つは中学生のときにヒステリックグラマーのノブさんがインタビューで
”デザイナーは自分のものには無頓着でいいと思う。その飢餓感から物が生まれる。”
っていうのを読んで、いたくビックリしたことです。当時、デザイナーって幾何学的なヘアスタイルで黒い服着てて神経質なイメージあったので、心地よく裏切られた感がありましたので、”デザイナーさん”ってそんなもんなんだ、と、なんだか感動すらしました。そんな”デザイナーさん”になってしまったので、幾何学ヘアーのいわゆる”デザイナーさん”にならないようには気をつけたいものですが。
 二つ目は山本康一郎さんにある日いわれたんです。
”おまえさあ、毎日おんなじもんばっか着てるそのなんとも大雑把なとこさあ、それデザイナーとして強みにしたほうがいいよ。”
当時はどういう意味なのか、なんか分からんかったけど、最近なんとなくわかってきた気がします。
蛇足ですがこないだはこう言われました。
”おまえのそのなんとも理屈っぽくて無理やりこじつけるような嘘つきなとこ。それを徹底的に使え。武器にするんだよ。”
なんかいつも褒める口ぶりで叱られてるみたいですが、そんなこじつけを生かしてこんなブログ書いてたりするのは、僕なりにアドバイスに従ってるつもりです。
 でも買い物もそんな毎日着るような気持ちで買うなら無理してでも気分あがるもの買うんではないでしょうか?別に飽きがこないようにシンプルなものである必要はないと思います。
豹柄のジャケットを毎日着ててもいいし。じつはその柄や形が違うものをたくさん持ってて気分で着てるとか。それか同じものいくつも持つとか色違いでとかは究極にお洒落かもしれません。山本氏のお父上、伴淳三郎さんはそうだったそうですし。
ゴルチェのワードローブには同じボーダーのTシャツが100枚きれいにたたまれてるかもしれません。
僕はここのところ自分とこのハンティングジャケットばかり着てますが、これだけ着たおすと微妙な修正点も見えてきて次に生かせるというか、今度は同じようでいて微妙に進化したもの作ろうとか考えます。
なんか自分のルールみたいなものをもつと、ファッションとは深く広がるのではないでしょうか?例えば黒しか着ないとか。シャツはボタンダウンしか着ないとか。
ようはファッションってそんなしばりを作るのもまた自由ということです。
ところで寅さんが映画で着てるジャケットはイブサンローランだなんて知ってました?


















| - | 13:11 | - | - |
こんなときこそ

 不況です。
そんなときはなるだけ洋服などは高いものを買ってはどうでしょう?
なんか最近街の人々を見るにつけ、デザインのバリエーションは豊かになったというか、そんなにファッションに興味なさそうな人も今っぽい格好してますが、なんかクオリティー低いものを着てる人が多い氣がします。
まず来年は着なさそう。
 お金がないからこそ高いものを買ってはどうでしょう?
僕は中学生のときに買ったのがナイジェルケボーンだったというキチガイ小僧ですが、今思うとお洒落だったとかそういんじゃないことに最近気づきます。
 要はお金を持っていなかったのです。そしてなけなしのお金で買うものなので、せこい僕は街中這いずり回ってリターンの大きい投資を目指したわけです。そして当時全盛のDCを全ブランド見尽くしてからインポートの服を見て感じたのは、DCはなんか薄い気がする。雰囲気も軽薄だけど素材感も薄く、なんかもたん氣がする。
当時の九州のセレクトの接客ってほんと独特でそんななかよくきいた言葉がこれです。
 ”一生着れるよ”。
今思えば一生着るわけないんだが当時は本当にそんな気になりました。お小遣いを握り締めながら、爺さんになってもそれを着る自分を想像し、それに比べれば、手のなかの小遣いなんてどうでもよくなりいうのです。”これ下さい。”
 子供ながらに見尽くしたことで見えてきたクオリティーもあったのでしょうが、むしろそのものがもつオーラみたいなものを感じる感受性が身についたのでしょう。そしてそのオーラとはスタイルではなくギアとして使命をもって生まれるもの、もしくはそれを下敷きにして作られたものがもつ雰囲気。ナイジェルケボーンの服はエヴェレストに初登頂したヒラリー卿のワードローブをリサーチして作られていました。そんなこと露もしりませんでしたがそんな雰囲気を感じたのでしょう。
 訳あってそんな服は今はもう手元にありませんが、着ふるしてだめになったとかあまりにもアウトオブスタイルになったとかではないので、もしかしたら一生着れたかも。今ではそう思います。
 そんな一生着れるかもしれないものなら、高いお金払うのも悪いもんじゃない。そう思いませんか?
| - | 00:55 | - | - |
僕の好きなおじさん

淺川マキさんが亡くなったそうです。

といっても若い世代は知らないだろうし、僕も同時代的な体験はないです。
でも彼女のことで思い出す人がいます。

 その人とは16歳のときに行ってた福岡にあったジャス喫茶崩れみたいなバーで知り合いました。
彼はそこの常連の酔いどれオヤジ。
タートルセーターにいつも裾からTシャツをべろんと覗かせ、下はジャージー。
いつもふらふらな泉谷しげるを細長くしたようなオジサン。
近所のアパートに住んでてよく隣人の中学の理科の先生なんかと飲みにきてました。
というかいつもそこに居ました。
たまに酔いつぶれて動かなくなるとその先生が背負って帰ってましたが、その先生も彼が一体何をしているのかは知らなかったようだし、本人も決して言わなかったようです。
”おいてめえ、お前xxやったことあるか?”とかいつも過激な問いを投げかけてはついでに吸殻まで投げつけられたものです。
でも次には”でもお前はいい奴だ”とかいって頭を撫でたり。
本当に困ったおじさんでしたが、なんだか興味本位で僕も避けることなく、つきあって飲んでました。子供のくせに。キースリチゃーズはジャックダニエル飲んでるとか聞いてそればかり。
そこにはジャスからロックまでいろんなレコードがあったので常連の僕はなんでも好きなものを聞くことを許されていました。
またその店には元ルースターズのマネージャーである福岡のマルコムとも言われた伝説のブルースマン山善とかもたまに来てて、
僕は当時バイトしてた小物屋のヒッピー(東京で坂本龍一とつるんでたと聞いて完全に騙されてました)にバイト代払って貰えないことを嘆くと山善が”俺が取ってきちゃーけん”といっていきなりヒッピーの家に押しかけて本当にバイト代とってきてくれたという思い出もあります。

 山善



山善の鼻はプラスティックでできてます。ホントに。



 そんなある日のことです。深夜、その店の扉が開くとそこにたってたのはジュリーでした。
目をこすりましたが、本当にジュリーでした。そしてジュリーは挨拶とともに深深とおじぎをして花束を酔いどれオヤジに渡すと去っていきました。
そのときオヤジが言ったのはただ一言。
”おお、沢田”

 一体何がなんだか訳が分からなくなりましたが、それからやっと店のマスターからオジサンの過去が明かされたのでした。

おじさんの若き勇姿がこれです。




オジサンはロッドスチュアート率いてストーンズのロンウッドがギターを弾いてたFACESというバンドのベーシスト山内テツだったのです。
それからのことです。おじさんがキースリチャーズの車の運転がどんなにキチガイかとかそんな話をしてくれるようになったのは。

 と、なんでそんなこと思い出したかというとテツさんは当時マキさんと同棲していたと聞いてたからです。

そんなFACESを生んだ英国の靴クラークスをカスタム。入荷しました。



最後にテツさんのwikiと動画をおまけに、、、、、、、、ああオジサンがキースと、、、、、、

wikipedia

略歴 [編集]
マイク真木のバック・バンド、マイクスで音楽活動を開始。その後、ミッキー・カーチス&サムライのメンバーとなり海外遠征も経験する。麻生レミのバック・バンドなどで活動中、来日中だったフリーのメンバー、ポール・コゾフ、サイモン・カークとスタジオで出会う。渡英後にコゾフ・カーク・テツ・ラビットとして活動しアルバム「Kossoff Kirke Tetsu Rabbit」を発表した。

1972年、再結成したフリーからアンディ・フレーザーが脱退したため、後任のベーシストとして加入する。1973年に作曲も担当したシングル「Wishing Well」[1]は全英チャート7位(Music Week)を記録。その後、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。1974年にも作曲を兼ねたシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」[2]が全英チャート12位(Music Week)のヒットを記録している。当初はイギリスのミュージシャンらが所属するユニオンに加入できず活動が制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が後押しし、問題解決へとつながった。フリーおよびフェイセズのメンバーとして日本での凱旋ライヴも行っている。






















| - | 21:47 | - | - |
姉さん



 カリスマスタイリスト(なんか古い響きだな)亘つぐみ姐さんのお誕生日会@代官山。
姉さんは姐さんと呼ぶほうがふさわしいけど僕には姉さんでもあります。
数々のタレントには姐さんとして、いかに女性が洋服というウェポンで戦うかという戦略指南をされていますが、僕はいつも”ああまたなんか頭痛くなるようなこと言って”と説教されます。
でもなんかそんなツグミ姉さんを妹のように感じることもあるから不思議な存在です。


| - | 11:28 | - | - |
BUFFALO '10





ARENA HOMME PULUS SPRING/WINTER 09/10.

バリー=ケイメンによるレイ=ペトリへのトリビュートともいえるファッションストーリーが掲載されています







以前タケ先生のタケオキクチの最後のショーを三人で三つ巴になって作ったことが思い出されました。
そのときストリートキャストした人たちも多数登場しています。

それを見て僕は心地よく殴られたような感触とともに、今自分がなしえているイメージとしてのファッションのギャップに、
正直、歯軋りしながら涙が出るような気持ちにされました。

なにをしてそうエモーショナルにされるかというと、それらイメージが、被写体のスピリットへの最大の敬意をもって、その人らしさに捧げるように作りあげられているからです。

レイ=ペトリはスタイリングの仕上げにモデルに香りをふきかけたそうです。

メンズのジャケットをオーバーサイズでテッズ風に羽織るリーゼントの少女。よくクレジットを見るとクラッシュのミック=ジョーンズの娘です。
そのようにスピリットが受け継がれていきます。




バッファローとは素人集団がファッションの外からしかけたゲリラ戦の戦跡で、その身振りと戦法をバッファロースタンスというのでしょう。


ペトリの死の間際の口癖をバッファローの合言葉としてバリーに貰いました。


STILL COOL.


そんなおまじないのような言葉を胸に、そのようなスピリットを一瞬でも共有する機会に恵まれた極東の三等兵として、僕もまた自分なりに戦いをはじめようと思います。












| - | 12:39 | - | - |
A man of Gemini.













































































| - | 23:30 | - | - |
色めがね



某誌の取材で斉藤久夫氏とツーショット。
氏は28才のときメガネをかけだして、世の中がよくみえることに驚いたという。
僕もそろそろメガネかけたら少しは世の中のこと見えるかな?グラサンじゃ駄目か?
アダムエロぺのテイラーリングを監修するにあたりこんなメガネを作りました。マットブラックフレームのクリアレンズもあります。この春発売予定。

スーツは自分ち。今月入荷予定。














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